NO MUSIC, NO LIFE.
タワレコが生んだ有名なコピー。
「音楽がないと、生きられない」
直訳するとだいたいそんな感じの意味。
タワレコ的には、"音楽があることで気持ちや生活が豊かになる"っていう意味合いらしいことはさておき、まあ直訳のとおり理解してる人が多い印象なのでその前提で話をするけど、
「音楽がないと、生きられない」とか。
日常的に音楽を聴く習慣のない人に言わせれば、「そんなわけねえだろあほか」と。「所詮娯楽のひとつないだけで死ぬわけないだろ」と。
そんなド正論の槍をぶっ刺してきそうなものですが、世の中には、
「音楽がないと死ぬ」
と本気で言ってる人、まじでいますよね。
冗談で言ってるわけでもなく、まじで言ってる奇特な、ヤバい人種。
まあ、過去の僕なんですけど。
僕に限らず、そういうことを本気で考えて生きている人って、特に10代の人たちの中にはけっこういると思うんですよ。
音楽は好きだけど、娯楽としてちゃんと線引きできている人からすれば、「え?音楽好きを誇張して冗談で言ってただけじゃないの?」と衝撃を受けたかもしれないですが、恥ずかしいんですけど、本気でそう思ってるんですよ。彼らというか僕ら。
失恋をすればありきたりな失恋ソングに浸って慰められて、楽しいことがあればノリのいいナンバーを口ずさみ、日々の鬱々とした気持ちを的確に言い表す歌詞には毎日救われた気になって、全部が嫌になったら爆音に全てを振り払ってもらう。
おおむね、そうやって何かあろうとなかろうと、経験とともに音楽があるような人たちは、自然と、いつも音楽が寄り添ってくれたから生きてこれた、みたいな錯覚を起こしてしまい、ノーミュージック、ノーライフ。の呪縛に囚われるんだと思います。僕のようにいっそう拗らせると、そうやって音楽に囚われてるのが幸せなんだと、勘違いしたりします。痛い。
でも、僕ももう20代半ばになって、こんな拗らせブログやってて言うのもなんですけど、さすがにちょっとそれは違うんじゃないかなと思うようになりまして。
それってつまり、ただ音楽に依存してるだけだよなあと。
ぶっちゃけ、音楽に救われなかったとしても、自分がのたれ死んでたとも思わないし。
音楽が全てだ、音楽がないと生きていけない、とか考えながら音楽を聴いて生きていくの、たぶんしんどいと思うんですよ。
音楽に救いようがないような辛いことがもしあったら、音楽自体、嫌いになりかねない。そうはなりたくないし、もっと純粋に音楽を楽しんで聴いていたいんです僕は。もちろんその上でその時々の心情に絶妙に寄り添う音楽に出会えたりしたら最高に違いないけど。
たしかCMで、ノーミュージックノーライフの真逆みたいなこと言ってるなあと思ったのがあって。
「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」
これ。
最強のコピーだと思いませんか。
結婚が全てかのように語られることに激しい嫌悪感を感じたりする癖に、結婚への憧れや願望も捨てきれない僕みたいに中途半端な人間にもめちゃくちゃ刺さる。結婚したい。
何が言いたいかって、音楽もこうあるのが理想だと思うんです。
音楽が好きな人って、音楽が世の中にある娯楽の最たるもので、まるで全てかのように錯覚してしまうんですけど、もちろんそんなことはなくて、世の中に楽しいことなんて腐るほどあるんです。知らないだけで。
音楽がなくても楽しく生きることは全然可能で、音楽にいつも支えられてきた僕らは、それを認めたくないだけ。
それでも、音楽以外に楽しいことなんていくらでもあるし、音楽を聴かなくても生きていけるってことをちゃんと理解した上で、でもやっぱり音楽を聴いて生きていきたいって思えるようになったら、もっともっと音楽の魅力を感じられるようになるんじゃないかなって最近思うようになって。
正直それを実感する域まで到達するのにもうしばらくはかかりそうですけど、そう考えられるようになったっていうのは成長か退化かはさておいて、自分にとってもすごく大きな変化なんですよね。
そういう変化してきた気持ちで、昔聴いていた音楽を改めて聴き直すのは、またいっそう楽しいんだろうなあとか思ったりしたところで、思考がとりとめなくなってきたので、この辺で。
雑記も雑記に付き合ってくれた方、ありがとうございます。
ではまた。