おもしろい人が好きだ。
たぶんみんなそうだと思う。でも、どんな人が自分にとっておもしろいかなんて、人それぞれの正義がありすぎて、誰にとってもおもしろいひとなんていない。
「おもしろい」と人から言われてる人が苦手だ。
みんながこぞって「あいつめっちゃおもしろい」とか、「あいつまじで頭おかしいw」とか、そういうこと言われてるようなごひょうきんな人気者を、どうしても好きになれない。そういう人をおもしろいとは思えない。いや、本当にすごくおもしろい人だってこともある。正確には、「声が大きい」と「おもしろい」がごっちゃになってる混沌とした空気が苦手だ。ごひょうきんな人気者も、その取り巻きも、ぜんぶ苦手だ。もっと言えば、生理的に無理。
たとえば、高校一年生とか大学一年生のときの、2週間目くらいの空気感。誰もが探り合いつつ、中心人物の素養がありそうな「声の大きい」人のいるグループにいることで「おもしろい」人たち専用のプラカードを掲げて安心しているような、あれ。作り笑顔のパンデミック。
彼らの理屈もわかる。「おもしろい」ひとだと思われるためには、そういう、中心人物の人たちの中で、適度に存在感を発揮することが必要。おもしろいことを言う必要はどうやらないらしく、すべらない程度の、それらしい、ノリとテンポのいい発言を、それなりのボリュームで発することが肝要であり、「おれはおもしろい人たちの中で受け入れられてますよー」ってアピールができれば万々歳。これで晴れてクラスの中心人物のひとり。
そんな彼らの中でもひときわ「おもしろい」とされる存在、「頭のおかしいあいつ」は、適度にだらしなかったり、珍妙な行動をしてみることで、普通の行動しかしない常識人のお仲間から「頭おかしいw」の評価をほしいままにする。
そういう手口で成り立つ「おもしろい」も、それを押しつけてくるような空気感も、本当に苦手だ。おもしろいかどうか以前に不快感と嫌悪感が先にきてしまう。
じゃあどういう手口なら許せるのかとか、そういう話がしたいわけでもない。彼らだって、僕からなんと思われようとなんとも思わないからだ。ただ僕は、そんな周りにおもしろさをアピールするためにあるような、アクセサリー染みた仮初めの「おもしろい」を一緒になって受け入れるような人間にはなりたくないだけだ。
もっと、相手との会話のなかで、察し合い、会話の言葉の裏にある皮肉を受け渡すような、性格の悪いおもしろさに惹かれてしまうような欠陥品なりの、最低限の安いプライドと言ってしまってもいいかもしれない。
迎合して、麻痺して、そんな奴らの一人になるような醜態を、学生の頃の自分が知ったらがっかりするような恥態を、さらすような真似は絶対にしてやるものか。
4月から環境の変化で上手く周囲に馴染めないこじらせた大人は、こういう中学生男子のオタクみたいな思考回路をフル稼働させることで、周囲に責任転嫁し、自己防衛を果たす。これが生きるために身につけた術。
普通に気持ち悪いから絶対真似はしない方がいい。
完全な独り言にお付き合いいただき感謝。
ちなみに音楽記事を全然書いてないのは単純にモチベーション不足だから気分がのったときにでもまた急に書くと思います。楽しみにしてくれてる方がもしいたらごめんなさい。
ではまた。