いとの音楽ブログ

バンド紹介、ディスクレビューからセンチメンタルな独り言まで幅広く取り扱っております。どうぞごゆっくり。

人間に一貫性なんてないし、豚こま肉てきとうに炒めてどんぶりにしてしまえよ

 

 

    人は誰でも、場面や状況、相手によって自分を使い分けている。その振り幅の差はあれど、友人、恋人、上司、後輩すべてにまったく同じキャラクターだって人はいない。いたら怖い。使い分けてくれ。

 

    言ってることも、シチュエーションやコミュニティに応じて変わるのが普通。「恋人だろうと友達だろうと先に入っていた約束が優先!」と一点の曇りなく言っていたあの娘も、彼氏からの急な誘いを優先して友達との飲みにいく約束を適当な理由で反故にしてしまうことだってある。そういうもん。

 

    とあるコミュニティの飲み会では「20代のうちに結婚なんてする気ない」と言ったこともある僕も、別のコミュニティでは「良い人がいれば今すぐ結婚して幸せになりたい。大型犬を2匹飼いたい」と主張を一変させることだってある。そういうもん。

 

   ではどちらかのコミュニティではうそをついているのかと問われれば、答えはノー。まったく嘘をついているつもりはない。自覚の問題ではなく、本当にそう思って発言していることがほとんど。「ひとりが楽しい」と「誰かといたい」の両方が本音。あの娘もそう。別にうそをついてるわけではないのだ。

 

    とはいっても、その二面性というか多面性のうち、自分が聞いていたのとは異なる面を、たとえば人づてに、あるいは自分がフォローしていないSNSアカウントを覗いてしまったことによって不意に知ってしまったとき、人は「うそつきだ」と思ってしまう。本心を隠されていたと感じてしまう。身勝手な生き物。覗くな、裏アカを。

 

    本心を隠したいわけではないのだ、別に。その場においては、すべて本心なのだから。誰でもみんな、そのコミュニティに、相手の好みに、迎合する。かっこわるいとは思いつつ、その場においては限りなく「ウケがいい」回答を、自分の考え方から導きだせる範囲で、選ぶ。自分の考え方からどうやっても導き出せないものを選ぶことはない。ない選択肢は、選べないから。

 

    もちろん、大うそをつく輩だっていることはいる。見栄やプライドから、事実とは明らかに異なることをのたまう人間が存在することは否定できない。それでも、その人の考え方、思考回路から導き出された言葉がそれであれば、その時、その場所、その状況においてはそれが本心であるということにしてしまっていいと思う。

 

    であれば、友達の前で強がって言った「あのバンドはダサい」も、好きな娘の前で偶然を装って言った「あのバンドが好き」も、全部本当でいい。そうやって、他人の目を気にして揺さぶられるぐらぐらの感性だって、それはきっとあなたのものだから、一貫性なんてもの、求めるのはやめてしまおう。あの人の矛盾する主張も、彼のぶれた基準も、彼女の曖昧な態度も、全部ひっくるめて、その人の人間味として受け入れてしまえばいい。確かなものなんてどうせない。

 

    僕だってあなただって、手のひらを返しつづけて生きていくしかない。

 

「自分の性格が本当に嫌いだし、見た目にもコンプレックスがたくさんあるけれど、そんな自分がやっぱり好きかもしれない」とか。

 

    こんなふうに、否定と肯定をいったりきたりしながら、一生、考えすぎていこうな。

 

    そのうち、こんなこと考えながら、スーパーで安くなってた豚こま肉を玉ねぎとてきとうに炒めて濃いめに味付けただけのどんぶりつくって食ってるこんな時間も、懐かしく、愛しくなる日もきちゃうんだから。

 


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    それにしてもシンプルなのに美味すぎるだろおまえ。また音楽とほとんど関係ないブログ書いちゃったじゃんか。