今日は、ブログを始めた頃からずっと記事にしたかったWOMCADOLEっていうバンドの話をさせてもらおうかなと。むしろなんで今まで書かなかったのか不思議なくらい大好きなバンドなんです、実は。
とはいえ今まで書かなかったのにもそれなりの理由があって、僕、このWOMCADOLEってバンドに対してどうしても素直になれないとこあるんですよ。小学5年生の男の子が好きな女の子についつい悪態ついちゃうやつあるじゃないですか。あれです。あれWOMCADOLE好きな僕です。きょとんって顔やめてください。
もう一時期は毎週のようにWOMCADOLE観にライブハウスへ足を運んでたくらいなんで間違いなくベタ惚れなんですけど、いざ彼らのパフォーマンスを前にすると、つい、「滋賀のスーパーロックバンドって…しかも自分で言う?ださくない?」とか言いたくなっちゃうんです。そのくせ、ライブ終わった頃には次のライブのスケジュールをチェックしてる自分もいる。好きな子にちょっかいかけるしかコミュニケーションの取り方を知らず、照れが先に来て素直に褒めるなんてとてもできない。でも会いに行かずにいられない。これは小学5年生まで飛び級してきた幼児。
まあ、これまでのブログでも好きなバンドのこと「バンド名がダサい」とか「ダサいことでごり押ししてくる」とか散々言ってきて、この期に及んでなに言ってんだこいつって思われるかもしれないけど、ことWOMCADOLEに関しては、いつか、余計な照れを抜きに絶賛できるようになったらブログを書こう。この気持ち、ちゃんと伝えよう。って純情な心持ちでいたんです。中学生まで飛び級あるぞこれ。
そしたらこの度、晩秋にリリースされた彼らの新譜「黎明プルメリア」に胸を打ち抜かれ、とうとう筆をとることにした次第。
かといって小洒落たディスクレビューなんかを書く気もさらさらなくて、結局言いたいのは樋口の唄が最強だなってことで。
アルバムの冒頭を飾る「FLAG」からもう全開で、彼の唄に鼓舞されるかのごとく、拳が自然にあがる曲のオンパレード。そして絡まらんばかりの巻き舌。たぶん口内にモーター付いてる。これぞWOMCADOLE。
かと思えば、アルバム通して聴くと引き出しの豊富さがむしろ目立つ。「深海ゲシュタルト」みたいなちょっとダークな雰囲気の曲もありつつ、「NANA」はインディーズ時代の隠れた名曲「MONKEY」を彷彿とさせる、ウォンカには珍しい踊れるロック。リズムが気持ち良すぎて身体が勝手に跳ねる。むしろ跳ねるしかできない。ほぼコイキング。
樋口の弾き語り曲「kamo river」のバンドアレンジは、メロディもシンプルで歌詞もほぼ同じフレーズの繰り返しなのに、結局彼の感情がずっしり乗った声に全部持ってかれてしまう。「夕方6時に会いたい」の歌詞にぶん殴られるたびになぜか涙も出てくるしなんだよこれ。
そしてアルバム終盤の「ミッドナイトブルー」、「あー、メジャーデビューするとストリングスきかせがちになるよねー」と言いたくなるひねくれ者の僕を一発で黙らせる切ないロックバラード。メロディが綺麗すぎる。ごめん、これはいるよね、ストリングス。というかこんなに大胆にバイオリン入れてんのに樋口の声が全く負けてない。どんな楽器入れようがこの声だけは絶対的に主役。負けない。だからこそ楽器隊も好き放題かっこいいことできるんでしょうね。
そして、こんだけいろいろな試みをしてるのに、「黒い街」が全く色褪せてないのが本当にすごい。2013年の閃光ライオットで披露していたような曲を令和元年のメジャーデビューアルバムにぶち込んで浮いてないのが不思議。むしろ馴染んでる。歌ものギターロックとしての完成度の高さがえぐいのはもちろんだけど、これもやっぱり樋口の唄声の力なのかなと。結局、彼の唄がWOMCADOLEの絶対的な核になっていて、メンバーもそれを前提に新しいことをどんどんやるから、バンドがものすごい勢いで進化していこうが、大事な芯はブレない。樋口が唄い続ける限り、「黒い街」も、WOMCADOLEも風化しない。
この名盤の中でも僕がいちばん好きな曲はラストの「黎」って曲なんですけど、これはもうアルバムを手に取って聴いてみてほしいです。メッセージ性の強い曲が揃った今作の中でも、ひときわ丁寧に言葉が紡がれた紛れもない名曲です。
WOMCADOLE、ぜひ。