ちょっと耳掻きするか、くらいの感覚で耳にマカロニえんぴつの新曲「溶けない」を流し込んだら、鼓膜とか突き抜けて脳ミソかき乱されたから皆さんも同じ目に遭ってください。
どうですか。主に脳の感情野がぐっちゃぐちゃになってませんか。なってない人は一旦耳掻きした方がいいです。
いつも言ってるのでもううんざりかもしれないですが、今回のマカロニえんぴつ、最高なんですよ。
いや、ほんとに。
何年か前からマカロニえんぴつは最高を更新し続けていて、もちろんその度に期待値は上がっていくけど、それでも超えてくる。雷門かと思ってみんなくぐってくような馬鹿でかいハードルを彼らは易々とびこえてしまう。
今回もそう。
唄い出しだけ聴いてフォークソング的な感じかなと早々に決めつけた愚か者をぶん殴るかのような、「ぜェェんぶゥゥゥゥウウウーーー!!!!」でぜんぶ吹き飛ばされて、頭がクリアになる。気づいたときにはもう、マカロニえんぴつのグッドミュージックを受け入れるだけのシンプルな回路ができあがっている。
サビはもはやマカロニえんぴつの十八番と言ってもいいような、胸が締め付けられる狂おしいグッドメロディ。しかも《ほどける結び目を》からもう一段階大きな波が押し寄せてきて、心臓がぎゅっと握りつぶされそうになる。
アイスのCMタイアップで《ただ愛すべき濃い時間に溶ける》って歌詞を持ってこれるワードセンスもさすがの一言。楽曲の世界観を損なうことなく、タイアップを意識したさりげない言葉遊びができるような余裕も、すでに若手の域を超えている。
それにしてもはっとりは、日本語の使い方が本当に上手い。
1番で《急ぎすぎた日々の中で見つけた優しさ 忘れちゃうのかな》だった歌詞が、
2番で《急ぎ、過ぎた日々の中で気づけた優しさ 忘れないからね》に変わる。
句読点ひとつで意味合いががらりと変わる日本語の繊細さを理解しているからこそ、細部まで選び抜かれた言葉であふれている。
狂おしいほどのグッドメロディに、こだわり抜かれた秀逸な言葉選び。
ひとつの曲に詰まった要素としてはもう十分。これで終わったって、「溶けない」は最高の曲だったってベタ褒めできる。むしろ完成度を壊さないために余計なことをしないのがベター。そう考えるのが自然なところ。
それでも、これで終わらないのがマカロニえんぴつなわけで。
初めて聴いた誰もが混乱してしまうこと間違いなしのCメロの展開。
これは転調とか、そんな優しいもんじゃない。2曲目だ。2曲目が始まっている。これじゃ転曲。しかも、ここまで重ねあげてきた聴き手の"エモい"をあえてぶち壊すかのような急ハンドル。「そっちに道なんてあった?」って思わず二度見しちゃうし、道、ないし。
そんなあからさまな脱線をしてまで、マカロニえんぴつが、はっとりが、このCメロでいったい何を表現しているのか。かなり婉曲的というか、抽象的な歌詞で解釈が難しいところではあるけど、あとにつづく歌詞にそのヒントがある気がする。
覚えた言葉だけでは僕は僕のこと話せない
向いてないのかな、きっと向いてないんだろな
急ぎすぎた日々の中に置いてきた全て
思い出すときがきっと大人なんだろうな
Cメロの《姑息で孤独なyou》がブルーベリー・ナイツの「姑息で孤独なあなた」という歌詞を、《Youth and moment》が「青春と一瞬」をそれぞれ連想させる。もしかしたらこれらは、はっとりが《急ぎすぎた日々の中に置いてきた》ものなのかもしれない。思い出して、大人になったとき初めて曲にしているだけで、結局のところ、「姑息で孤独なあなた」や「青春と一瞬」とは《似て非なる》現実があったのかもしれない。
もっと言えば、マカロニえんぴつが爆発的に売れたことでこれらの曲を聴いた若者たちが、自らの青春とマカロニえんぴつの楽曲を重ねて共感を呼んでいるいま、あえて「共感できない人たち」に寄り添うような歌をつくったとも言える。
マカロニえんぴつの中で表現されるような青春の言葉だけでは自らの心境を、《僕のこと》を言い表せない。そんなもどかしさや疎外感が、《向いてないのかな》というぼやきによって表現されているような気がする。
マカロニえんぴつに全然共感できないような人たちが送る青春も、共感している人たちが送る青春も、まるごと「愛すべき濃い時間」なんだと、はっとりはそんなふうにすべての若者を、さらにはかつて若者であったすべての人を、肯定してあげたいのかもしれない。
だからこそ、誰もが抱く"少数派の意識"に、一人ひとりの孤独感に、直に訴えかける魔法のような曲、「溶けない」をつくりあげた。
こんな一方的な解釈に意味なんてないけど、MVの大サビでぴょんぴょん跳ねながら溢れでる想いを吐き出すように歌うはっとりを観ていると、この曲に込められた想いをどうにか解き明かしたくなってしまう。
そんな、解けぬ謎に溶けたい。